第17回 その飛行機が実用に至らなかったわけ
浜田一穂 著『未完の計画機』(イカロス出版)
このところ航空関係の本が続いているが、調べ物をしていて面白いことに気がついた。現在米サイエンティフィック・アメリカン誌のバックナンバーは、1845年の創刊号以来すべて電子化され、オンラインで買うことができる[*1]。そこで、ライト兄弟の飛行機がいつ記事になったかを調べていったところ、1908年5月8日号[*2]が巻頭で“The Wright Aeroplane Test in North Carolina”という記事を掲載していた。この号は表紙もライト・フライヤーである。
この時期の世界的な物流の速度を考えると、遅くとも1908年8月までには世界中の図書館にこの号が届いていたと考えて間違いはないだろう。
ところで、前々回(Shokabo-News 2015年1月号)取り上げた『嵐の生涯 航空機設計家ハインケル』には、エルンスト・ハインケルが1908年8月5日のLZ-4飛行船墜落事故に遭遇する以前に、空気より重い航空機について雑誌で知識を得ていたと書いてあるのだ。ひょっとすると、ハインケルは、このサイエンティフィック・アメリカン誌1908年5月8日号を読んで、その印象も鮮明な状態で、ツェッペリン飛行船を見に行き、「飛行船では駄目だ、飛行機でなければ」というインスピレーションを得たのかも知れない。
さらに、その前(Shokabo-News2014年7月号)に紹介した『空気の階段を登れ』に登場した日本民間航空のパイオニア・奈良原三次は、1909年頃から航空機の自作を開始している。こちらも欧米の雑誌から情報を得ていたということなので、ひょっとすると同じサイエンティフィック・アメリカン誌1908年5月8日号が、影響しているのかも知れない。「自分も作ろう」と考えてから、実際の作業にとりかかるまでは数か月はかかるだろうから、夏頃にサイエンティフィック・アメリカン誌の記事を読んで、翌1909年初め頃から実際の作業開始と考えると、つじつまが合う。
本当かどうかは分からない。が日独で、同じ雑誌の同じ号を読んで、同じような航空機への取り組みが始まった可能性があるというのは、大変興味深い。
ところで航空趣味には、“駄作機趣味”と呼ぶべき分野が存在するのをご存知だろうか。ライト兄弟以降、数多くの航空機が開発されたが、失敗したものも多い。技術的問題から飛べなかったものから、技術的には成功したにも関わらず社会的な理由で商業的成功に至れなかったものまで、事情は様々だ。これら失敗作を愛でるマニアがいるのである。
この分野の著作としてもっとも有名なのは、軍事評論家の岡部いさく氏の手による「世界の駄っ作機」(大日本絵画刊行)だろう。既巻7巻に別巻2巻が出版されている人気シリーズだ。岡部氏もこのシリーズだけは「岡部ださく」名義を使っており、力の入れようが窺える。この“駄作機趣味”は日本に限ったものではないようで、英語圏でも“The World's Worst Aircraft”(Jim Winchester著、邦訳:『図説世界の「最悪」航空機大全』原書房)という本が出版されている。
今回取り上げる『未完の計画機』は、数多い失敗航空機の中から、著者曰く「とりわけ特異な、あるいは技術的に興味深い機体を集めた」本だ。今年4月に出版されたばかりの新しい本である。取り上げられた16機種すべては冷戦期の機体。本書は航空技術の側から、冷戦という時代を概観しているのである。
著者は、浜田一穂(航空)、江藤巌(宇宙)、野木恵一(軍事)と、三つの名前を使って、航空宇宙・軍事の幅広い分野で活動しているベテラン評論家。航空雑誌「Jウイングス」(イカロス出版)で10年以上続いている同名の連載に基づいて大幅に加筆したものである。
全体は三部構成で、第1章「悲運の白」では、ノースアメリカンXB-70ヴァルキリー、BAC TSR2、アヴロ・カナダCF-105アロウという3機種が取り上げられる。航空マニアなら、これらがすべて純白塗装の機体であることに気がつくだろう。核爆弾爆発時の熱線に耐えるための耐熱塗装だ。つまり3機種とも核戦争において使用することを想定していたのである。以下、第2章「アメリカの野心」では、原子力航空機やマッハ3クラス戦闘機などの冷戦期アメリカの技術開発が、第3章「奇想の挑戦」では同時期に旧ソ連や欧州で行われた技術的試みをまとめている。
取り上げられた各機種が、実用に至らなかった理由は多種多様だ。技術的未成熟、政治的判断、焦点の定まらない仕様要求、そもそものコンセプトの齟齬、軍の基本戦略方針の変更などなど。著者は、これら失敗の原因を冷静に分析していく。
その結果見えてくるのは、冷戦期という時代の特異性だ。「世界の駄っ作機」は、各時代の機体をまんべんなく取り上げて「この飛行機、こんなに駄目だったんだよね」と、個々の失敗作を愛おしみつつ解説している。それに対して、『未完の計画機』は取り上げる機種を冷戦期のものに絞ることで、個々の機体を超えた冷戦期というひとつの時代を描き出していく。
核兵器により、人類は地球を一気に破滅させるほどの破壊力を手にした。敵も味方も破滅的な破壊力を手にした状況で、破滅を回避して平和を維持し、同時に相手よりも有利な立場に立つにはどうしたらいいのか。この人類史上初めての状況にいかに対応すべきかの試行錯誤が、航空機の技術開発に端的に表れているのである。本書はアメリカとソ連だけではなく、欧州やカナダの試行錯誤も取り上げている。冷戦という時代は米ソだけのものではなく、全世界的な状況だったのだということを改めて実感する。
その一方で、本書はイギリスのマイルズM.52やジャンピング・ジープ、フランスのルデュック・ラムジェット実験機、ソ連のバルティーニVVA-14といった実験的、もっと言えば奇想天外と形容すべき機体も取り上げている。冷戦という時代は、少しでも軍事的な価値がありそうならば開発費用が出た、奇妙におおらかな時代でもあったのである。
技術史的に見ると、20世紀は様々な技術が戦争をきっかけにして長足の進歩を遂げた時代だった。第一次世界大戦に第二次世界大戦、そして冷戦――世界的な軍事的緊張は軍事技術への大きな投資を引き起こし、その中から生まれた技術はどんどん民間転用されていった。すべてが軍事技術に根をもつわけではなく、例えばムーアの法則によって文字通り世界を一変させた半導体技術は、ジャック・キルビー(1923〜2005)とロバート・ノイス(1927〜1990)がそれぞれ独立に発明した、半導体基板上に回路を形成する技術が基本となっている。それでも、キルビーとノイスの発明の背後には真空管を使ったエレクトロニクス技術があり、その進歩を促したのは間違いなく戦争だった。
冷戦終結からすでに四半世紀以上が過ぎた。では、今後の技術はなにを駆動力として進歩していくのか。もちろん、「技術の進歩のために戦争を起こす」というような本末転倒の状況はあってはならない。
ここからは私見となるが――私は、ムーアの法則の終焉がひとつのきっかけになるかも知れないと考えている。これは私のオリジナルの考えではなく、この連載を分担している鹿野司さんがかなり以前から考察していたことだ。
インテル創業者のひとり、ゴードン・ムーア(1929〜)は、1960年代半ばに「半導体集積密度は18〜24ヶ月に2倍になる」という経験則を提唱した。これがムーアの法則だ。その意味は、半導体の性能は指数関数的に上昇するということである。事実、1960年代から、半導体の性能はその通りに向上してきた。ムーアの法則を支えて来たのは、より細い配線を半導体上に作り込む技術だ。この分野の技術進展は、そろそろ量子力学的な壁にぶつかりつつある。現状では、2020年代前半にはムーアの法則に従った半導体性能向上は終わるだろうと予測されている。三次元に回路を集積する技術や、まったく原理の異なる量子コンピューティングなど、ポスト・ムーアと呼ばれる一連の技術開発を行われているので、その後も計算速度は向上していくだろうが、指数関数的な急速な性能向上が続くかどうかは分からない。
鹿野さんは、指数関数的な半導体の性能向上に対して、その莫大な計算能力を生かすアプリケーションが追いついていない、と指摘した。だから、ムーアの法則が終焉すれば、技術開発の努力の中心は、アプリケーションに移るのではないかというわけだ。
例えば、概念としてのユビキタス・コンピューティングは20年以上昔に提唱された。では、すべての物体に通信可能なチップが入り、相互に通信するとして、どんな環境が実現できるか――ユビキタス・コンピューティングの可能性を引き出すアプリケーションは、まだ十分に可能性が探索されているとは言えない。
あるいは、これまで配線の微細化に注力していた半導体製造の技術開発が、「より放射線に強い半導体」という方向に向かったら、福島第一の事故を起こした原子炉内でも自由自在に行動できるロボットが可能になるかもしれない。
そうなった時に、航空技術はどのように変化するか。私は、昨今悪い方向で話題になっているドローンは、ポスト・ムーアの時代を見据えた技術開発の一環として理解したほうがいいのではないかと思っている。
そのような考察にあたっては、なによりも過去、それも直近の冷戦期のことを知る必要がある。『未完の計画機』は、その一助となることだろう。
【本文中で紹介したWebサイト】
*1 http://www.scientificamerican.com/
*2 http://www.scientificamerican.com/magazine/sa/1908/05-30/
【今回ご紹介した書籍】
『未完の計画機 −命をかけて歴史をつくった影の航空機たち−』
浜田一穂 著/A5判/312頁/価格(本体1900円+税)/2015年4月刊行
イカロス出版/ISBN 9978-4-8022-0014-1
https://books.ikaros.jp/book/b10041892.html
【編集部注】2016年1月に『未完の計画機2 −VTOL機の墓標−』が、2019年12月に『未完の計画機3 −より速く!より高く!−』が刊行されています。
「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2015
Shokabo-News No. 311(2015-5)に掲載
【松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在,PC Onlineに「人と技術と情報の界面を探る」,日経トレンディネットで「“アレ”って何? 読めばわかる研究所」,日経テクノロジーで「小惑星探査機はやぶさ2の挑戦」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『飛べ!「はやぶさ」』(学習研究社),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
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